Artist's commentary
カフェラテ
怪文書ものせとこう
銀杏の葉も散りきらない十二月。
尚早な寒波は雪を伴ったものの、それでも交通に大きな混乱はなかった。
しかし、父の仕事に影響を与えるには十分だったようで、午後に出来るはずだった暇は潰れてしまう。
父は整備に出していた車を自動車店から引き取る予定をしていた。
翌日のイベントでこの車…シトロエン・CXを使う予定があってこの日でなければだめだったというのにだ。
そんなわけで代わりに娘のA子が講義の後、CXを受け取りに行くことになった。
A子はいわゆる“お嬢さん”で、近隣のK大学に通っている。
高いレベルの大学にも自然に通える環境。
大学へは普段なら自転車でも通える距離だが、この日は雪のため電車を選んだ。
といっても店は家よりも少し先。
少し長めに栗色の電車に揺られ、A子が降り立った駅のすぐそば。国道沿いにその店はあった。
老舗の輸入車店「リベルテ」。
店構え同様、内実も規模は小さく、人員も最小限。納車サービスに応える余裕はなく、客もそれを承知している。
だが、丁寧な仕事ぶりで近隣の富裕層から確かな信頼を得ており、A子の家もこの店に車を任せてきた。
A子が店を訪れると、説明に現れたのがB子。
彼女はその店でアルバイトをしているようだった。
大学に通いながら働いているが、A子と同じ高校の出身で、育ちの良さを感じさせる子だった。
しかし大人しいA子と活発なB子は高校時代、特に親しいわけでもなかった。
小さな店には対応マニュアルなどなく、不意の再会に二人の距離感は揺らいだ。
お客として接するべきか、同級生として話すべきか。
それはA子も同様だった。
「ここでアルバイトしてるの?」
「整備とか教えてもらってて…」
A子は当たり障りのない会話の中で、B子が作業着ではないことに気づく。勤務終わりなのだ。
「お家、○○のほうだったっけ?」
よくある軽い質問である。
だがそんな一言から自然に…
「乗ってく?」「ええん?助かるー。」
不意に踏み込み過ぎたようなやり取りで社交辞令が思わぬほうに転がる。
だが拒む理由もない。
二人はCXで店を後にする。
道路は混み始め、車内には沈黙が落ちる。
共通の話題は車くらいだが、A子はこのCXについてほとんど知らない。
父に頼まれて引き取りに来たというだけで、彼女にとってはガレージを占拠する珍妙な車にすぎなかった。
そのCXは祖父の遺物。
父が引き継いでいるが、祖父はA子が三歳の頃に他界しており、記憶はほとんどない。
親戚のおばは「お爺さんはほんまおしゃれな人やったんよ。」なんて言う。
苦笑混じりの言葉には、父を懐かしむ愛情があった。
だが、子供だったA子にそれは察せず、ただ「気取り屋」という世間的な響きだけを受け取ってしまった。
=フランス車とは、気取った人が乗るものだと。
祖父の実直な姿とその言葉は、彼女の中で長く一致しないままだった。
しかし、B子の話をわからないまま聞くうち、このCXがまじめな技術的理想の上に成り立っていることを感じ始める。
祖父の人物像とCXの印象が少しずつ重なっていく。
例えばこのCXはイギリス仕様だった。日本の道路で使いやすい右ハンドル。
実用性を重んじる祖父の性格がそこに表れていた。
心境の変化をわずかに自覚した頃、CXはB子を降ろす地点に着いた。
B子はCXの事を知らないA子に今回の整備項目でもある特有の車高調整の操作をさせる。
CXがぐぐっと後部を持ち上げ、続いて前部が上昇する。
A子が思わずB子の方を見ると、B子はいたずらにニヤついていた。
そのびっくりと心境の変化が同期して、珍妙でしかなかったCXが違った車のように見えてきた。
B子は送ってくれた礼というふうに自販機のカフェラテをA子に放った。
振り返りもせずひらりと手を上げて合図をすると、路地に消える。
